格安バスツアー特集!業界最安値の日帰りツアーや宿泊型バスツアーが満載!おすすめ・人気で有名な観光地の旅行を激選
四季の旅の伊勢神宮ツアー
日本の心を象徴する伊勢神宮は、特別な聖地でありながらこの地に来られた誰もが「特別」な何かを感じる場所でもあります。
特別な何かの捉え方は、訪れた人それぞれ違うかもしれません。それは、二千年にもおよぶ聖地の美しさ、神が宿る鎮守の森と豊かな自然、神域の澄み切った空気と肌触り、風になびくご正宮御幌の心地よさ、常に若々しいエネルギーに満ち溢れている生命の輝きを願う「常若」の思想、どれをとっても心にうるおいと安らぎを与えてくれます。
毎日の当たり前という生活に感謝し、神々の「おかげ」をいただき、生かされていることに感謝することで、新しい気持ちで明日に向かっていこうと教えてくれる場所が、伊勢神宮の魅力ではないでしょうか。
四季の旅の伊勢神宮ツアーは伊勢神宮に精通して教育を受けた添乗員が同行します。そのため伊勢神宮全般についての知識が豊富で、必ずご参加のお客様にもご満足いただけると考えております。
関東発伊勢神宮バスツアー 一覧
![1泊2日の伊勢神宮ツアー](https://www.shikiclub.co.jp/shikitabi/photo/st_s203i/visual.jpg)
1泊2日の伊勢神宮ツアー
伊勢外宮・伊勢内宮・神明神社(石神さん)を参拝する1泊2日の伊勢神宮宿泊ツアー。サウナ&大浴場完備のホテルに宿泊します。
バスツアーだから実現可能な1泊2日で伊勢神宮と石神さんを巡るツアーですが、更にすべての神社にて御朱印をお受けする事が出来るので、御朱印を集められている方にはおすすめのツアーです。
ツアー詳細はこちら
![伊勢神宮・二見ヶ浦・石神さんツアー](https://www.shikiclub.co.jp/shikitabi/photo/st_s203f/visual.jpg)
伊勢神宮・二見ヶ浦・石神さんツアー
伊勢神宮外宮&内宮・二見ヶ浦・おかげ横丁と石神さんを1泊2日で巡るの伊勢神宮宿泊ツアー。三重県・鳥羽港~愛知県・伊良湖まで伊勢湾フェリーに乗船!
サウナ&大浴場完備のホテルに宿泊します。
ツアー詳細はこちら
![伊勢神宮朔日参りバスツアー](https://www.shikiclub.co.jp/shikitabi/photo/st_s231/visual.jpg)
伊勢神宮朔日参りバスツアー
月末に出発し、月初の1日に伊勢神宮内宮を朔日参りする1泊2日のバスツアーです。現地ホテルに宿泊し、1泊2日で伊勢神宮の外宮・内宮・神明神社(石神さん)を巡ります。
ツアー詳細はこちら
伊勢神宮に行ったら合わせていきたい神社・ツアー
戸隠神社
戸隠神社は、「天の岩戸神話」の聖地です。
「天の岩戸神話」の中で、伊勢神宮に祀られている天照大御神は弟の素戔男尊の乱暴に激怒して、天の岩戸に閉じこもってしまいます。
太陽の神様である天照大神が天の岩戸の洞窟に閉じこもったことにより太陽が失われ、世界は暗闇に包まれてしまいました。
困り果てた神様たちは、智恵の神である思兼神のもとに集まり、作戦会議を開きました。その作戦の中で、芸能の神である天鈿女命が舞を踊り、周りにいた神々がはやし立てて大騒ぎをします。
その楽しそうな声を聞いて外の様子が気になった天照大神は、天の岩戸を少し開いて、外をご覧になられました。その瞬間、力持ちの神である手力雄神が洞窟を塞いでいた天の岩戸をつかんで投げ飛ばしました。こうして天照大神に外に出てもらい、無事に世の中に光が戻りました。
この時に投げ飛ばされた天の岩戸が飛来して山になったのが、長野県の戸隠山といわれています。そして、この神話で活躍した神々を祀っているのが戸隠神社です。
諏訪大社
諏訪大社は、「国譲り神話」に関連する聖地です。
伊勢神宮に祀られている天照大御神は、それまで大国主神が治めてきた豊葦原水穂国を、孫の瓊々杵命に譲るように言いました。
大国主神はしばらく考えて、自分の子供たちが了承するならば国を譲ると答えました。大国主神の子供は事代主神と建御名方神。
建御名方神は力持ちの神様で、それならば力比べをしようと持ち掛けます。建御名方神は天照大御神の遣いとして来ていた武御雷神と力比べをしましたが敗れ、国譲りを了承しました。
その後、建御名方神は信濃国(長野県)に移り住み、諏訪大社に祀られています。
出羽三山
江戸時代には「西の伊勢参り、東の奥参り」という言葉がありました。
「西の伊勢参り」は伊勢神宮を参拝すること、「東の奥参り」は山形県の出羽三山を参拝することを指し、この2つを両参りすることが人生の通過儀礼の1つとされていました。
その背景には、太陽神の天照大御神を祀る伊勢神宮は「陽」、その弟であり月の神様の月読命を祀る月山を含む出羽三山は「陰」と見立てられて、この2つが対になっているという考えがありました。
そして、死ぬ前にこの双方を参拝することで、生まれかわりを果たすことができると信じられていました。