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この記事は 富士浅間神社五社巡りバスツアー の紹介記事です。
皆さんは、富士山の神様ってどんな神様かご存じですか?富士山の神様は「コノハナサクヤヒメのミコト」という女性の神様。とても美しいけれど、怒ると怖い・・・そんな神話が伝わっている神様です。時には八ヶ岳の頭をかち割ってしまったり、時には産屋に火を放って出産をしたり。
今でこそ美しい姿を見せる富士山ですが、古代富士山は噴火を繰り返していました。人々にとって富士山はただ美しいだけではなく、その強すぎる力に「おそれ」を感じていたのかもしれません。富士山の周りにはコノハナサクヤヒメをまつる「浅間神社」がたくさん作られました。
今回は富士山を北から南へぐるりと1周しながら「浅間神社」だけを五社めぐります。2013年富士山は「文化遺産」として世界遺産に登録されました。今回めぐる五社も信仰の遺跡として世界遺産に含まれています。
富士山を遠くから眺めることがあっても、麓の神社を五社連続して参拝する機会はなかなかないと思います。富士山の美しい姿を眺めながら信仰の遺跡をめぐり、なぜこの山に人々が惹き付けられるのか?富士山の魅力を再認識する旅になりそうです。
新宿を出発して1時間30分、北口本宮浅間神社よりスタートです。
①北口本宮浅間神社~江戸時代のメインルート吉田口の入り口~
北口浅間神社の参道のに立った時、あまりの荘厳さに息をのみます。両側にずらりと立ち並ぶのは樹齢数百年は数えるであろう杉並木。その先には朱色の重厚な拝殿を望みます。吸い込まれていきそうな雰囲気さえ感じます。
本殿は江戸時代の建築です。日光東照宮を連想させるような朱色のどっしりとした建物です。屋根には豪華な装飾がつけられて華やかです。
本殿の前にそびえる大きな杉が目を引きます。「太郎杉」と名づけられたこの杉は樹齢千年を越えると言われています。変化を続ける富士山の姿を見続けてきたのでしょうか・・・生命力あふれる姿に息を飲みました。
この辺りは「諏訪の森」と言われています。古くは諏訪大社が祀られていた土地に浅間神社をお祀りしたのだそうです。ですから、今でも北口浅間神社のオーナーは諏訪神社。向かって右に諏訪神社がお祀りされていますので、こちらもお参りしておきましょう。
諏訪神社の両側におかれている御神輿は、日本三大奇祭になっている「吉田の火祭り」で担がれるもの。8月末に行われる吉田の火祭りは富士吉田口の閉山祭という位置づけです。
富士吉田の街では各家が大きな松明を掲げ、街全体が真っ赤に燃え上がります。それに呼応して、富士吉田登山道にある山小屋も松明を掲げ、富士山への感謝を表します。
本殿の裏手に回ると、「登山門」という鳥居があります。ここは富士吉田口の0合目。吉田ルートは今でもこの門から山頂へと続きます。江戸時代以降、富士山に登る人の多くは富士吉田から登りました。
江戸から歩いて富士吉田の街にたどりついた登山者たちは、「御師」とよばれる登山ガイド兼富士講の指導者の家に一泊しました。翌朝この浅間神社を参拝して登山の無事を願いここから登山をスタートさせました。
登山用品も今のようには整っておらず、登山者たちは足袋に、蓑をきて山頂を目指しました。今でこそ五合目までバスで向かうことができますが、もちろん当時は0合目から登ります。きっと今よりもずっと大変な思いをしたはず。それでも多くの人々山頂を目指しました。なぜ、富士山はここまでに人を惹きつけるのでしょうか・・
今回は初詣期間の参拝のため、氏子の方よりお神酒の振る舞いがありました。余談ですが左のめがねのお父さん、娘さんがAKBのメンバーだそうで「お正月も仕事で娘が東京から帰ってこない、さびしいなあ・・・」とぼやきながら参拝者に次から次へとお神酒を注いでおられました。
②河口浅間神社~樹齢1200年の七本杉が圧巻~
さてバスで15分ほど移動をして2番目に向かうのは、「河口浅間神社」 今回まわる五社のうち河口湖のほとりにあるこの神社だけ「センゲン」ではなく「アサマ」と読みます。文献によると「センゲン」よりも「アサマ」のほうが古い呼び方だそうです。
昔の人々は「火を噴く山」のことを「アサマ」と呼んだそうで、長野の浅間山(アサマヤマ)、熊本の阿蘇山も語源は同じだそうです。平安時代に富士山が噴火した際、溶岩は河口の方向に流れ河口の人々は大きな被害を受けました。富士山の怒りを納めるために河口の人々が祀ったのがこの神社です。
境内にある七本杉は樹齢1200年。これだけの巨木が1カ所に七本も生えているのは珍しいことだそうです。七本杉の間近くにいってツリーパワーを全身で感じます。
河口の浅間神社をでたバスは、1時間半ほどの長い移動に入ります。河口湖、西湖、本栖湖、精進湖の姿を車窓で眺め、うっそうとした青木ヶ原の樹海を抜けたら、富士山の西側に広がる朝霧高原に差し掛かります。
ここで、富士山がその美しい姿みせました。車内からは歓声があがります。
このツアーは富士山を反時計周りに一周するので、常に車窓の左側にその姿が見えます。右側の方は見えない? 安心してください。コースの途中で席を入れ替えるので全員富士山の姿が見られますよ。
③富士山本宮浅間大社~奥宮は富士山頂上!湧玉池でありがたい水をいただこう~
3番目の参拝は富士山本宮浅間大社。富士山の南側にやってきました。一の鳥居付近からもばっちり富士山の姿が見られます。富士宮口の起点にあたり、全国の浅間神社のなかでは最も大きな神社です。
今回参拝するのは、富士宮市にある本宮ですが、奥宮はなんと富士山の山頂!富士山の八合目から頂上はこの神社の境内地ということになっております。
こちらの本殿は、「浅間造」と言われる特殊な構造です。社殿を2つ重ねたような形は、富士山の裾野をイメージしたとも言われています。
もともとこの神社は数キロ離れた場所にある浅間神社「山宮」の場所にあったそうです。そこでは社殿を設けず、富士山そのものをご神体として参拝したそうです。現在の位置に社殿を建てる際もどこか富士山をイメージさせる形の社殿を設計したのかもしれません。
本殿参拝後、右側にすすみ「湧玉池(わくたまいけ)」へ。富士の麓の地中深くに染み込んだ雨水や雪解け水は、長い年月をかけて濾過され、この池に湧き出ます。古くは修験者たちが登山前にこの池で身を清めた場所。現在は透き通ったこの水を飲むことができます。
参拝後、お腹がすいたら参道途中にある「お宮横丁」へ。ここには常設で焼きそばやおでんの屋台が立ち並びます。せっかくなのでご当地B級グルメ「富士宮焼きそば」を頂くことにしました。
太めの麺にイワシの削り節がしっかり効いてとっても美味しいです。最近は東京でも富士の宮焼きそばを出す店がありますが、富士宮やきそば学会が認める12の特徴を満たすお店は少ないそうで・・・ここで食べる富士宮焼きそばは、焼きそば学会も認める本物です。
④村山浅間神社~仏教の色合いを残す神社~
10分ほどバス移動をして次に参拝するのは「村山浅間神社」さきほどの本宮浅間大社を出発し、「村山口登山道」を登り始めた登山者が最初に参拝するのがこちらでした。うっそうとした森のなかに位置し、どこか落ち着いた雰囲気です。
ここは、もともと「大日如来」まつる興法寺があった場所。
富士山はもともと神仏習合の傾向が強く、各山小屋でも仏像をお祀りしていました。村山浅間神社も境内の雰囲気や社殿の形など仏教の匂いを強く残しています。
明治時代に入り「廃仏稀釈」で富士山に残っていた仏教の遺跡はほとんど焼き払われてしまいましたが、もしも仏教遺跡が今でも残っていたら世界文化遺産への登録はもっと早かったかも、という人もいます。
⑤東口本宮富士浅間神社~ポイントは根上がりのモミとハルニレの巨木。巨木のもつ生命力を感じよう~
50分移動して、最後にお参りするのは、富士山須走口の拠点となった「東口本宮富士浅間神社」大鳥居の額をみると・・「富士山」ではなく「不二山」となっています。「世界に2つとないすばらしい山」という意味が込められているそうです。
東口本宮でぜひ訪れたいのは、「根上がりのモミ」 小学校低学年の子であれば下を通り抜けられるのでは?というくらいに根が浮いています。不思議ですね・・・
他にも境内の森には「ハルニレ」の木もあり、見ごたえがありますよ。
さて五社巡りをおえると、時間はもう夕方、富士山の向こう側に日がおちて幻想的でした。
いかがでしたか?浅間神社だけをめぐるツアーですが、五つの浅間神社それぞれに少しずつ違いがあります。その違いを感じ、自分でも新たな違いを見つけながら参拝していただくとより楽しんでいただけるのではないかと思います。
また、五社それぞれで御朱印がいただけます。今回は初詣ツアーのため混雑が激しかったですが、それでも多くの御朱印ガールが五社の御朱印を頂いていました。通常の土曜・日曜であれば混雑も今回ほどではなく、ゆとりをもって御朱印をいただけるのではないかと思います。御朱印は参拝の証として頂くものなので、それぞれ参拝後にマナーを守っていただいてくださいね。
写真は吉田口登山道にあるサルの像です。伝説では富士山はサル年に出現したと言われており、サルは富士山では神様のお遣いだとされています。今年(2016年)はサル年。サル年に富士山に訪れるといいことがあるかも?ぜひ富士浅間神社をめぐる旅にお出かけください。
担当添乗員:武内正輝
写真は基本的にツアー時のものですが、編集の都合上フリー素材も使用させていただきました。
このツアーに参加するには富士浅間神社五社巡りバスツアーご覧ください。
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この記事を書いた人
高橋 早紀
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