この記事は、「日光東照宮・報徳二宮神社 日帰り1日間バスツアー」の紹介記事です(2024年12月21日参加)。
こちらのツアーに参加するにはコチラ
今回のバスツアーは、世界遺産・日光東照宮周辺を約3時間たっぷり楽しめます。
有名な三猿や眠り猫、家康の墓などを拝観でき、下野國一之宮の日光二荒山神社や国宝・日光山輪王寺も訪問できます。
さらに、二宮金次郎を祀る報徳二宮神社では商売繁盛や合格祈願ができ、季節限定の可愛い御朱印もいただけます。
なお、行程では報徳二宮神社を先に参拝しますが、この記事では日光東照宮などを先に紹介します。
はじめに、自由昼食について2つのアドバイス
①日光東照宮周辺で観光に時間を使いたい場合
報徳二宮神社を訪れる際、バスが駐車する「道の駅 日光街道ニコニコ本陣」でお弁当を食べておくと良いでしょう。
②日光東照宮周辺で日光名物の昼食をとる場合
バスが駐車する日光カステラ本舗や近くの西参道の十字路が便利です。帰りの集合時間に合わせて調整しやすい場所です。山楽、日光かりまん、日光ドラバタ、西参道茶屋、Manten chicken grill nikkoなどの食事処やカフェが集まっています。
目次
日光東照宮 陽明門が光り輝く!
日光カステラ本舗の駐車場に到着したのは11時ちょうど。これから3時間、日光東照宮周辺の自由時間が始まります。
添乗員さんのモデルコースは以下の通りです。
・日光東照宮 約50分
・日光二荒山神社 約30分
・日光山輪王寺 約20分
・昼食 約50分
(移動 約30分)
日光カステラ本舗の駐車場から歩いて約10分で、日光東照宮の表参道に面した日光山輪王寺(三仏堂)の前に出ます。帰る際は、この門を目印にしてください。
日光東照宮のご由緒
徳川家康を祀るために建立された日光東照宮は、1617年に創建されました。1542年、岡崎城で生まれた家康は、戦乱の世を収めて江戸幕府を開き、日本に平和と繁栄をもたらしました。その政策は、国の発展に多大な影響を与えました。
75歳で亡くなった家康は、最初は静岡の久能山に埋葬されましたが、1年後に日光へ改葬されました。「東照宮」と呼ばれるようになったのは1645年のことです。
表参道の最後に石鳥居があります。ここを通ると左側に五重塔が立っています。
五重塔は、1650年に若狭国(現在の福井県)小浜藩主・酒井忠勝によって奉納されました。1815年の火災で焼失しましたが、1818年に同藩主の酒井忠進によって再建されています。
石鳥居を通ると、正面に表門が見えます。この門は仁王像が守っていることから「仁王門」とも呼ばれます。
ここから先に進むにはチケットが必要です。門の前にいる守衛さんがチケットを確認します。
このチケットは、鳴龍の天井画が見られる薬師堂の入場チケットも兼ねているので、無くさないようご注意ください。なお、チケット代金はツアー代金に含まれています。
表門を入ると左方面に三神庫(さんじんこ:手前の建物)、その向こうに陽明門前の鳥居が見えます。
三神庫の獏(ばく)と象
三神庫とは、祭事に使う装飾品や道具、武具などを収める倉庫です。獏(ばく)と象の彫刻が有名です。獏も象も実際に見たことがない職人が彫ったような怖い動物になっています。
神厩舎の三猿、四猿?
三神庫の向かいにあるのが神厩舎(しんきゅうしゃ)。神厩舎とはご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、猿がモチーフになっています。8面で16体の猿が彫られていますが、第2面に有名な見ざる・言わざる・聞かざるの「三猿」がいます。
猿たちは成長を通じて、人生や家族の絆を象徴的に表しています。
母猿が子の将来を思う場面から始まり、子供の純真さを守り、やがて成長して自立し、夢を抱く青年期を迎えます。
結婚し、人生の荒波を共に乗り越え、家庭を築く様子が描かれ、最終的には子育てへと循環していく様子が示されています。
第6面には四猿、つまり「しざる(せざる)→禁欲」と言われています(写真:右の猿)。
光輝く陽明門!
陽明門は、その美しさに見入ってしまい、つい時間を忘れてしまうことから「日暮の門」と呼ばれています。門には、故事や逸話、聖人や賢人などを題材にした500以上の精緻な彫刻が施されています。
参拝時が12時前で、ちょうど光り輝くような、まさに名前のような陽明門の写真を撮ることができました!
神社の門を守るのは、櫛石窓神(クシイワマドノカミ)と豊石窓神(トヨイワマドノカミ)。天孫降臨の際に邇邇芸命(ニニギノミコト)に従ってきた神様です。
【天孫降臨】
日本神話において、天照大神の孫である邇邇芸命が地上に降り立った伝説です。
そして、この白い柱の模様を覚えておいてください。
陽明門はその精緻な彫刻群に目を奪われてしまいますが、門を通る時に天井を見上げてください。表側と裏側に必見の大きな龍の天井画があります。
陽明門の背後を守っているのは、金色に輝く獅子。その鋭い眼差しは、思わず圧倒されるほどです。
ここで少し注目してほしいのが、門柱の模様です。上の武将がいる門柱と比べてみてください。
陽明門の12本の柱のうち、1本だけ模様が天地逆さまになっています。これは、あえて未完成の状態にすることで魔除けの意味を持たせていると言われています。
社殿と唐門
東照宮で最も重要な場所である社殿は拝殿・本殿・石の間から構成されています。例祭をはじめ、年間を通じてさまざまな祭典が執り行われます。社殿前の唐門は、全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、美しい輝きを放っています。門には「許由と巣父」や「舜帝朝見の儀」など、精巧で細やかな彫刻が施されています
【許由と巣父】
許由は中国古代の高士で、尭から天下を譲る申し出を拒否し、耳を洗って隠れました。巣父はその汚れた水を牛に飲ませることができないとして帰ったという故事があります(栄華を嫌うたとえ)。
【舜帝朝見の儀】
舜帝が新年に役人たちから挨拶を受ける場面を描いており、徳川家康が舜帝に比されることを意識した作品です。
陽明門を後ろから撮った写真です。門の左に神楽殿があり、ここで御朱印をいただけます。
眠り猫から始まる奥宮への参道
徳川家康が眠る奥宮へは、神楽殿の右側にある坂下門を通って行きます。坂下門の前、東回廊の潜門(くぐりもん)の上には、左甚五郎作と言われる眠り猫の彫刻があります。この彫刻は意外と小さく、正確なサイズは公表されていませんが、左右20〜30cmほどでしょうか。上の方にあるので、知らないと見逃してしまうかもしれません。
眠る猫の姿は平和の象徴とされています。その裏側には雀の彫刻があり、猫が眠ることで雀も安心して遊べるという解釈があります。
これは、戦乱の時代が終わって平和な時代が訪れたことを象徴しているのかもしれません。
奥宮へはこの坂下門から207段の階段を登って行きます。彫刻の鶴は長寿を表し、鶴はまた現世と来世を結ぶとも言います。
階段はけっこう急で、休み休み登られる方が見受けられます。。
階段を登り上の鳥居を右に曲がると、奥宮拝殿(写真下)があります。
奥宮の拝殿
奥宮宝塔:静かに眠る徳川家康の墓
拝殿の右の方から、家康の墓を一回りしてから参拝し、御朱印をいただきます。家康の眠る墓:奥宮宝塔
叶杉に願かける!
叶杉の〈洞〉に願かける
この杉の洞に向かって願いごとを唱えると、その願いが叶うと言われています。また、眠り猫が付いた鈴のお守り「叶鈴守」もあります。
坂下門まで、また207段の階段を降りて帰ります。
日光東照宮と奥宮の御朱印
鳴龍の日光山輪王寺 薬師堂
薬師堂は日光山輪王寺の一御堂
陽明門を出て右に行くと、鳴龍の天井画で有名な薬師堂があります。なお、薬師堂は日光東照宮の一部ではなく、五堂ある日光山輪王寺の一御堂です。鳴龍の案内はバイリンガルで
参拝者には多くの外国人もいるため、ご住職は鳴龍について日本語と英語で説明しています。なお、内部の撮影は禁止されているので、写真はパンフレットから紹介します。
鳴き龍の頭の下で拍子木を打つと、拍子木の音の後に鈴が転がるような音が聞こえます。この音が聞こえると運勢が良くなると言われています。ただし、龍の尻尾や胴体の下で拍子木を打っても「鳴竜の声」は聞こえません。
科学的な詳細は省きますが、この現象は、龍の頭の部分がやや凹んでいることが原因で、「フラッターエコー現象」と呼ばれます。
向こうに陽明門が見える上の写真は、ご住職からここが撮影スポットだと教えられました(右の建物は鼓楼)。
最後に、もう一度陽明門を見てから、次の日光二荒山神社に参ります。
薬師堂 鳴龍の御朱印
縁結びの下野國一之宮 二荒山神社
日光東照宮のチケットを買う奥の混雑の向こうが、二荒山神社へ行ける上新道になります。
日光東照宮から上新道へ
上新道には多くの寄進者による石灯籠が並び、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出しています。その道を3〜5分ほど歩くと、二荒山神社の楼門に到着します。
二荒山神社・楼門と社号
日光開山の祖である勝道上人が782年に困難を乗り越えて男体山の登頂に成功してから1200年を記念して、1982年に楼門が建立されました。
楼門をくぐると、右側に大国様が立っています。この大黒様のいろいろな部分を触れることで、次のご利益が得られるとされています。小槌=金運、袋=良縁・財宝、俵=財運・商売繁盛、顔や体=健康になります。
楼門裏の左側には、良縁うさぎがいます。このうさぎは、ご祭神である大己貴命(大国主神)に助けられ、後に八上姫との結婚を予言したことから「良縁うさぎ」と呼ばれています。
日光二荒山神社のご由緒
古くから、標高2,486メートルの霊峰二荒山(ふたらさん=男体山)は、神が静かに鎮まる御山として信仰されてきました。神社の境内は日光国立公園の中心部を含み、日光連山をはじめとする広大な3,400ヘクタールのご神域を擁しています。
華厳の滝やいろは坂、神橋などの見どころがある日光市内には、三社が鎮座しています。それぞれは、男体山山頂の奥宮、中禅寺湖畔の中宮祠、そして日光市山内にある日光二荒山神社です。
日光二荒山神社のご祭神
父:大己貴命(オオナムチノミコト)大国主神の幼少時の名前で大国様
母:田心姫命(タゴリヒメノミコト)
子:味耜高彦根命(アジスキタカヒコネノミコト)
拝殿の前には、金色の良い縁うさぎが待っています。
神楽殿
毎年4月2日には、国家の繁栄を祈願して神楽が奉奏されます。2019年にはここに大きな大黒様が鎮座していましたが、今はその姿はありません。また、右奥には有料の神苑があります。
(写真上)家庭円満のご神木・親子杉。ご祭神・親子三神にちなんで、根を一つにした三本杉
(写真下)夫婦円満のご神木・夫婦杉
なお、夫婦杉の左に社務所があり、御朱印やお守りをいただけます。
親子杉と夫婦杉の間から降りてきました。
日光二荒山神社の大鳥居。もともとは、この大鳥居をくぐって参拝するのが正式ですね。
大鳥居の左側に「良い縁打出の小槌」があります。この「打出の小槌」は、願い事を唱えながら振ると、思い通りのものが現れるという福を招く宝物とされています。
鳥居の右側にむすび大国があります。大国様が座っている袋には、むすびの宝がたくさん詰まっているとされ、大国様と大きな袋に触れることで、良い縁を結ぶことができると説明されています。
鳥居を出て左方向にある下新道から日光東照宮の表参道に戻ります。
下新道からは情緒ある風情の五重塔を見ることができます。
下新道の最後には、お土産・お食事処「きしの」があります。ここで一休みして、昼食をとるのもいいでしょう。
メニューは湯波定食、そば定食、うどん定食、湯波そば、湯波うどん、カレーライスなどがあります。
※「ゆば」の産地として有名な京都では「湯葉」、日光では「湯波」とすることが多いそうです。
日光二荒山神社の御朱印
国宝・日光山輪王寺の三仏堂と護摩堂
日光山輪王寺のご由緒
日光山は、766年に勝道上人によって開山されました。それ以来、平安時代には空海や円仁などの高僧が訪れたという伝説が残り、鎌倉時代には源頼朝公による寄進が行われるなど、関東の一大霊場として栄えてきました。江戸時代になると、家康公の東照宮や三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、日光山の中心的な本堂である三仏堂と共に、その壮大さを今に伝えています。
日光山輪王寺には五つの堂(三仏堂・護摩堂・常行堂・大猷院・薬師堂)があり、どの御堂でも内部の撮影は禁止されています。そのため、ご本尊やその他の素晴らしい彫刻を写真で紹介できないのが残念です。
三仏堂の黄金色を纏うご本尊
中央の寺額には「金堂」と書いてあります。
三仏堂のチケット
- 馬頭観世音菩薩
太郎山の本地仏で、特に交通安全や農業の守護神として信仰されています。 - 阿弥陀如来
女峰山の本地仏で、極楽浄土への導きを象徴します。 - 千手観世音菩薩音
男体山の本地仏とされ、慈悲の象徴です。
※日光の三山は、男体山、女峰山、太郎山です。
秘仏「五大明王」は必見!
令和6年4月8日から令和7年3月31日まで、必見の秘仏「五大明王」が初開帳されています。高さ20〜30cmほどの仏像ですが、どれも精緻な彫刻です。世界遺産登録25周年記念特別企画
>>秘仏初開帳「五大明王」pdf
①軍茶利明王 ②大威徳明王 ③不動明王 ④降三世明王 ⑤金剛夜叉明王
(写真上)お堂の左前にある桜の木。春になると荘厳なお堂に優しさを添えることでしょう。
(写真下)お堂の横後ろにある庭園
三仏堂の後ろにある相輪橖(そうりんとう)の内部には、お釈迦様の舎利(遺骨)に見立てた「お経」が収められています。(背後に見えるのが三仏堂)
三仏堂の御朱印
護摩堂は祈願専用のお堂
護摩堂は三仏堂の後ろに位置しています。三仏堂、相輪橖、護摩堂の並びです。日光随一の護摩祈願所として、多くの参拝者の要望に応えるため、1998年に新築された祈願専用の御堂です。
家内安全・身体健全・商売繁昌などの現世利益を不動明王様の火炎によって祈願する護摩祈願が毎日行われています。
護摩堂の切り絵御朱印
下のように背景の紙色を変えると、切り絵になっているのがよくわかりますね。
二宮金次郎を祀る報徳二宮神社
9時50分に道の駅 日光街道ニコニコ本陣に到着しました。これから1時間10分の自由時間がありますが、報徳二宮神社までは約5分の距離です。神社の参拝には30分あれば十分です。そこで、少し早いですがお弁当を買い、次の目的地である日光東照宮周辺の自由時間をすべて散策に使うことにしました。
日光ニコニコいなり、赤飯、ソースカツ重、ランチボックス、チャーシュー丼、鶏ごぼうご飯、ぜいたくのり弁など、種類が豊富です。
ただし、和食レストラン・蕎麦処の開店は11時からなので、日光名物の「湯波そば」などは味わえません。
道の駅 日光街道ニコニコ本陣
報徳二宮神社とは
学問や商売繁盛のご利益で知られる二宮尊徳(金次郎)を祀る神社です。日光市今市の街中に位置し、境内には二宮尊徳の墓があり、彼の遺体が安置されています。
東武今市駅から徒歩3分、道の駅「ニコニコ本陣」から徒歩2分という便利な立地です。
左側の像の頭上にある箱に小銭を投げ入れるのは簡単ではありませんが、それが入ると願いが叶うと言われています。
二宮金次郎のブロンズ像
1891年に金次郎の姿が初めて登場した本『二宮尊徳翁』の挿絵がきっかけで、1928年に少年像が寄進されました。
このブロンズ像は全国の小学校に約1000体制作されましたが、戦時中にほとんどが供出され、この像だけが現存しています。像の高さは1メートルです。
報徳二宮神社の御社殿
【ご祭神】二宮金次郎
報徳二宮神社には、シンボルである鳩が多く見られます。鳥居の上にもたくさんの鳩がいましたが、角度によっては写真に写っていない鳩もいます。
神水みくじ
尊徳さんは水の神様とされています。おみくじを静かに水に浮かべて占った後は、下にある干支の箱に納めます。おみくじは社務所で購入します。
二宮金次郎のお墓
二宮金次郎のお墓は御社殿の裏にあります。御社殿の右側にある通路を通ると、墓所に行けます。可愛い!報徳二宮神社の御朱印
可愛い絵柄の御朱印がいっぱい!
2つの昼食アドバイス
道の駅 日光街道ニコニコ本陣のお弁当
日光東照宮周辺で観光に時間を使いたい場合
報徳二宮神社を訪れる際、バスが駐車する「道の駅 日光街道ニコニコ本陣」でお弁当を食べておくと良いでしょう。日光東照宮周辺で昼食をとる場合
バスが駐車する日光カステラ本舗や近くの西参道の十字路が便利です。帰りの集合時間に合わせて調整しやすい場所です。山楽、日光かりまん、日光ドラバタ、西参道茶屋、Manten chicken grill nikkoなどの食事処やカフェが集まっています。西参道の十字路
左から順に、日光ドラバタ、日光珈琲 西参道、富士屋観光センターが見えます。写真を撮っている場所には、食事処の山楽と日光かりまんがあります。※この通りが西参道で、手前側が日光二荒山神社へ続いています。
日光東照宮・報徳二宮神社[まとめ]
日光東照宮では、三神庫の象の彫刻や、三猿で有名な神厩舎に始まり、光り輝く陽明門には感動しました。また静かな奥宮へは、眠り猫から始まる参道を通り、徳川家康が眠る場所で「叶杉」に願をかけました。
そして、縁結びの日光二荒山神社を参拝し、旅の最後は輪王寺の三仏堂で秘仏「五大明王」を拝観しました。
こちらのバスツアーに参加するにはコチラ
日光東照宮・報徳二宮神社 日帰り1日間バスツアー
※当記事の内容は個人の感想を含み、諸説ある話の1つを基に作成されているため客観的な事実を表すものではありません。 また、特定の説を支持したり、異なる説を否定したりするものではないことをご了承ください。 なお、内容についてのご質問はお受けいたしかねます。
この記事を書いた人
渋谷 良久
2007年頃から、年に2〜3回趣味で日帰りバスツアーに参加していました。
当初は、はとバスをメインに、読売旅行、クラブツーリズムなどを利用していました。
2017年頃から神社に興味を持つようになり、(株)四季の旅のツアーに参加するようになりました。
カメラを持ってあちこち動いていますが、皆さんのご迷惑にならないよう気をつけています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。