この記事は、「信州の桜名所2大スポット!高遠のコヒガン桜と光前寺のしだれ桜バスツアー」の紹介記事(2022.04.12参加)です。
こちらのツアーに参加するには高遠のコヒガン桜バスツアー
目次
高遠城址公園の満開コヒガン桜!
高遠コヒガン桜
【高遠コヒガン桜】について高遠城址公園のコヒガン桜は、樹齢130年を越える老木を含め、約1500本あります。その花はやや小ぶりでピンク色、その可憐さは「天下第一の桜」と言われています。
県の天然記念物に指定されて、平成2年(1990年)に日本さくらの会の「さくら名所100選」に選ばれました。また、「日本100名城」、「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。
それでは、そんな「天下第一の桜」を見るバスツアー に出発しましょう。
バスは新宿西口都庁大型バス駐車場を7時25分に出発。双葉SAで1回休憩し、高遠城址公園には11時に着きました。これから2時間の自由時間です。
今日の添乗員は調さん。高遠にはとても詳しく、バス内で見所をたくさん教えていただきました。今日は、調さんのアドバイスを参考に回ってみたいと思います。そのルートは、次の通りです。
1. グラウンドゲート
2. 桜雲橋(おううんきょう)
3. 本丸まわり
4. 白兎橋(はくとばし)
5. 南ゲート
6. 桜のトンネル
7. 絵島囲み屋敷
グラウンドゲートから高遠城址公園に入園
添乗員の調さんから入園観覧券をいただき、グラウンドゲートから高遠城址公園に入園します。
2022年4月12日(火)は快晴に近く、高遠城址公園の桜はごらんのとおりの満開。今日は、まさにお花見日和です。
高遠城址公園内では、食事ができる場所は決められていますので、ご注意ください。
まずは、桜雲橋(おううんきょう)の前に「天下第一桜の碑」を見ておきます。1934年(昭和9年)4月の建立です。
※公園案内図では、桜雲橋のすぐ隣りに表記されていますが、実際はかなり離れていました。このように、案内図とは少し違っている場合もあります。また、まわりは桜ばかりですので、方向感覚がわからなくなることもあります。迷ったら、すぐに係員さんに聞いてみましょう。(多くの係員さんがいらっしゃいます)
桜雲橋へ。これぞ高遠城址公園の桜!
高遠城址公園の見所第一の桜雲橋。向こうに見えるのが、問屋門(とんやもん)です。
桜雲橋からの眺め。この後、橋の手前から下に降りてみました。
桜雲橋まわりの桜は、いかにも高遠らしい桜の象徴です!
問屋門はもとは高遠城下、本町の問屋役所にありました。江戸時代、主な街道には宿駅が定められ、問屋と称されていました。
問屋門を出ると、うすピンク色のコヒガン桜をたくさんの人々が見学しています。
桜雲橋から高遠公園碑・本丸へ
問屋門を出て右の方が本丸です。ここからは、桜を通して中央アルプスの絶景が望めます。本丸には高遠公園碑、新城藤原神社、太鼓櫓(たいこやぐら)などがあります。高遠公園碑
明治14年(1881年)建立。碑文は明治の三筆と言われた書家、巖谷修(いわやおさむ)の書。その子巖谷小波(いわやさざなみ)は、日本のアンデルセンと称された明治の児童文学者です。
新城藤原神社
新城神とは、織田の大軍により最後をとげた武田信玄の五男・仁科五郎盛信の霊。以前より高遠城内にあった藤原社と合祀されました。
本丸からは、中央アルプスが桜を通して眺められます。
太鼓櫓(たいこやぐら)
江戸時代には、時を知らせるために太鼓を打っていました。
本丸から白兎橋(はくとばし)へ
添乗員の調さんによると、この白兎橋から桜の枝の隙間がハートに見える箇所があると説明を受けていました。しかし見つからず、お見せできずにすみません。白兎橋から、雪をいただいた中央アルプスの絶景が眺められます。
廣瀬奇壁(ひろせ きへき)・河東碧梧桐(かわひがし へきごとう) 句碑
白兎橋を渡って、南ゲートに向かう右側にある敷地・法幢院曲輪(ほうどういんくるわ)にあります。石の両面にそれぞれの句が彫られています。(写真は奇壁の句)
奇壁:斑雪(はだれ) 高嶺 朝光 鶯 啼いて居(遠く東の方、仙丈ヶ岳を眺めて詠んだ句)
碧梧桐:西駒は斑雪てし尾を肌脱ぐ雲を(駒ヶ岳の残雪が馬の姿に見える)
白兎橋から南ゲートへ
高遠城址公園から一度外に出ます。ここまでゆっくり歩いて、50分ほどです。この南ゲートから出て再入園する時、入園観覧券が必要になります。くれぐれも紛失しないようにご注意ください。南ゲートを出て少し歩くと、お店が2軒あります。なぜか、左のお店に人が多く並んでいます。私も左のお店で10分ほど休憩することにしました。
信州そばを食べたかったのですが、待ち時間がどのくらいかわからないので、桜ソフトクリームをいただきました。400円のダンゴ付きを注文(ダンゴなしは350円)。すずらん牛乳特製、かなりコクとボリュームもあり、美味しかった。オススメです。
同じおばあちゃんが作ってくれましたが、かなり形が違っていました(笑)。確か、添乗員の調さんが言っていました「形が違っていても、味は同じです」と。
南ゲートから桜のトンネルへ
お店の前を右手に曲がると、すぐ信州高遠美術館があります。その手前を左に曲がると桜のトンネルです。高遠城址公園のグラウンドゲートの方が北で、こちらは南になります。そのせいか、桜吹雪まではいきませんが、ちらほら花びらが散っていました。桜のトンネルから、絵島囲み屋敷へ
桜のトンネルを抜けて下に降りると、目の前に白山橋があります。この橋から左を見ると、高遠ダムが見えます。白山橋の手前を左に曲がり、2〜3分で右手に歴史博物館があり、その先20mくらいで絵島囲み屋敷になります。
【絵島・生島事件】
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/江島生島事件
正徳4年1月12日(1714年2月26日)、時の徳川家第七代将軍である家継の生母月光院につかえる年寄・絵島は、主人の名代として同じ年寄の宮路と共に上野寛永寺、増上寺へ前将軍家宣の墓参りに出かけました。
その帰りに懇意にしていた呉服商の後藤縫殿助の誘いで、木挽町(歌舞伎座周辺)の芝居小屋・山村座にて生島の芝居を見ました。
芝居の後、絵島は生島らを茶屋に招いて宴会を開き、宴会に夢中になり、大奥の門限に遅れてしまいました。大奥七ツ口の前で「通せ!」「通さぬ!」の押し問答をしていると、この事が江戸城中に知れわたり、評定所が審理することになりました。
月光院の嘆願により、絵島は罪一等(死罪)を減じて高遠藩にお預けとなりました。事実上の流罪です。
物語 まぼろしなりし わが絵島 墓よやかたよ 今うつつな里(十月亭:有島生馬の俳号)
絵島の実際の生活は、こう説明されています。
囲み屋敷には、番人として5人の藩士が交代で昼夜を問わず詰めていたほか、身の回りの世話をする下女もいました。着物はすべて木綿、冬でも火鉢しか許されず、食事は朝タ2回で一汁一菜。38歳の頃からは自らの意思で魚も断ち、もちろん酒や煙草は禁じられていました。
また、筆記用具の使用も許されず、ひたすら読経の毎日だったといいます。高遠で27年余を過ごし、寛保元年(1741年)4月10日、絵島は亡くなりました。享年61歳。
絵島囲み屋敷から南ゲートへ
先ほどは信州高遠美術館の方へは行きませんでしたが、この美術館前のコヒガン桜は見応え十分。コロナ禍でなければ、シートを広げて、お花見をしたいところです。時間が心配な方へ。ここ信州高遠美術館から、入園したグラウンドゲートまでは20分あればゆっくり帰れます。
[コラム]高遠のコヒガン桜にはこんな努力も
高遠コヒガン桜の若返りの成果
この桜は、樹勢が衰えた老木を若返りの方法によって蘇らせたものです。
若返りの方法は、まず幹の途中から出た若木の根に壁土をつけて、その根を約5年かけて大地に誘導します。根が大地に根付くと、親木の上部が枯れた後も、その若木は順調に育ちます。
この方法は、幹から出た根が親木の皮の中の水分で生きていることに着目して考え出されたもので、昭和28年(1953年)から行ってきました。
高遠城址公園では、こうした若返り方法を始め、自然の力を大切にした方法を用いてこの貴重な樹林の保護に取り組んでいます。
(立札の説明より)
そして、グラウンドゲートへ
ピンクの高遠コヒガン桜に別れを告げて、バスは次の光前寺のしだれ桜へ向かいます。ここからは約1時間弱です。
光前寺のしだれ桜と霊験早太郎伝説
光前寺には15時15分着。光前寺は仁王門から三門を通り、本堂までが一直線に建っています。仁王門
寺院を守護する金剛力士像を安置しています。しだれ桜も満開でした。
杉並木参道
本堂に向かって逆光ですが、まるで不動明王様が招いてくださっているようです。この参道右の石垣の中に、光苔が見られるそうです。
(光前寺ホームページより)
光前寺本坊(参道の右側)
中に入るには拝観料500円。庭園が素晴らしいとのことです。下の門からの写真では、庭園は建物の向こうで見えません。
苔の古道(参道の右側)
まるで緑のビロードのような質感です。
三門
三解脱門と言われ、「迷」より「悟」に入る門の意味。楼上には、十六羅漢が安置されているそうです。
三本杉
本堂
2022年は7年ごとの御開帳の年で、本堂の中に入れました(500円)。入れたのですが、不動明王像(秘仏)などは撮影禁止でご覧いただけません。不動明王像のほかに、毘沙門天や多聞天などの像十数体が安置されています。
光前寺の縁起
開基本聖上人は、比叡山にて研学修行の後、太田切黒川の瀑の中より不動明王の尊像を授かり、この地に寺を開かれました。
光前寺7年ごとの御開帳の特製お札
三重塔と霊験早太郎伝説
南信州唯一の三重塔。高さ17メートル。この三重塔の中にも外からは見られますが、撮影禁止の五智如来像が安置されています。三重塔の前にあるのは、霊験早太郎の碑。三重塔の裏には、早太郎の墓もあります。
【霊験早太郎伝説】
700年程昔、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われておりました。
その頃、遠州府中(静岡県磐田市)見付天神社では田畑が荒らされないようにと、毎年祭りの日に白羽の矢の立てられた家の娘を、生け贄として神様に捧げる人身御供という悲しい習わしがありました。
ある年、村を通りかかった旅の僧である一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)は、神様がそんな悪いことをするはずがないと、その正体をみとどけることにしました。
祭りの夜にようすをうかがっていると、大きな怪物が現れ『今宵、この場に居るまいな。早太郎は居るまいな。信州信濃の早太郎。早太郎には知られるな』などと言いながら、娘をさらっていきました。
弁存はすぐさま信州へ向かい、ようやく光前寺の早太郎をさがし当てると、早太郎をかり受けて急ぎ見付村へと帰りました。
次の祭りの日には、早太郎が娘の代わりとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を退治しました。
早太郎は化け物との戦いで傷を負いましたが、光前寺までなんとか帰り着くと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高く吠えて息をひきとってしまいました。
帰りは、順光の杉並木参道を戻ります。話が前後しますが、最初の仁王門を入ると、すぐ左の方に大講堂があります。この前の桜もよく咲いていました。
(上)仁王門を大講堂側から見た写真。(下)仁王門の前のしだれ桜です。
光前寺の駐車場にあるモクレンも満開でした!
光前寺の御朱印
この御朱印は不動明王。このほかに、霊犬早太郎の御朱印など数種類あります。7年ごとの「御開帳」の文字は貴重ですね。終わりに
今日は天気も良く、高遠のコヒガン桜の満開を見られたのは一生の思い出となりました。じつは、わたしは2009年4月16日にもバスツアーで一度訪れています。この時は、満開から一週間ほど後のことでした。そよ風が吹くたびに桜の花びらが舞い、とても幽玄な世界でした。
めいっぱい咲き誇った満開の桜、散り際の幽玄な桜吹雪、あなたはどちらを愛でますか?
ところで、光前寺はしだれ桜だけでなく、パワースポットとしても再訪したいお寺です。素晴らしい建築と御開帳の秘仏・不動明王像などは、本当に素晴らしい彫刻でした。ぜひ、あなたもご覧になることをオススメいたします。
こちらのツアーに参加するにはコチラ
「信州の桜名所2大スポット!高遠のコヒガン桜と光前寺のしだれ桜バスツアー」
※当記事の内容は個人の感想を含み、諸説ある話の1つを基に作成されているため客観的な事実を表すものではありません。 また、特定の説を支持したり、異なる説を否定したりするものではないことをご了承ください。 なお、内容についてのご質問はお受けいたしかねます。
この記事を書いた人
渋谷 良久
2007年頃から、年に2〜3回趣味で日帰りバスツアーに参加していました。
当初は、はとバスをメインに、読売旅行、クラブツーリズムなどを利用していました。
2017年頃から神社に興味を持つようになり、(株)四季の旅のツアーに参加するようになりました。
カメラを持ってあちこち動いていますが、皆さんのご迷惑にならないよう気をつけています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。