この記事は、「戸隠五社めぐりバスツアーで五社の御朱印を拝受しよう!」の紹介記事です。(2019年7月25日参加)
こちらのツアーに参加するにはコチラ
今日は日帰りで、戸隠五社をめぐります。私にとっては、2017年11月15日以来の2度目になります。今回の大きな目的は、戸隠五社の御朱印をすべてもらうこと。前回は「御朱印」の名前すら知らなかった私ですが……。
目次
戸隠五社めぐりバスツアー3つのポイント
1日で戸隠五社めぐりを、2つのコースに分けた設定がとてもいい!
【1つ目のコース】奥社と九頭龍社約2kmの参道(往復約80分)を歩きます。滞在時間130分
(バス移動:約20分)
【2つ目のコース】宝光社〜火之御子社〜中社
宝光社から中社までの約1.4kmの神道(かんみち:約35分)を歩きます。滞在時間125分
※滞在時間は、バスの渋滞により変わります。
この2つのコースに分けることによって、日帰りで戸隠五社を無理なく参拝できるのです。
天岩戸伝説のおさらいと戸隠五社のご祭神
- 高天原でのスサノヲの暴挙に、アマテラスは怒り天岩戸の中に隠れます。天と地は暗くなり、あらゆる悪霊が闇の中を暴れまわります。
高天原の神々も地上の人々も、みな困ってしまいました。 - 「知恵の神」オモイノカネノミコトが、アマテラスを天岩戸から出す計画を立てます。
- アメノウズメノミコトがエロチックな舞を踊り、八百万の神は大喜びして大騒ぎ。
- アマテラスは「真っ暗闇の中、何を騒いでいるのだ?」と、岩戸を少し開けます。
- すかさず、タヂカラオノミコトがアマテラスを引っ張り出し、岩戸を投げ飛ばします。
登場するオモイノカネノミコト(と息子ウワハルノミコト)、アメノウズメノミコト、タヂカラオノミコトと戸隠に住んでいた九頭龍大神が戸隠五社のご祭神になります。
戸隠五社の御朱印をすべて集めると、あるアイテムがもらえます!
奥社、九頭龍社、宝光社、火之御子社、中社の御朱印をぜんふ集めると、最後にあるアイテムがいただけます。アイテムは、中社のご案内後にご紹介します。(左から)奥社、九頭龍社、宝光社、火之御子社、中社の御朱印
では、戸隠五社めぐりに出かけましょう。新宿を7時に出発。途中、高坂SAで20分、小布施PAで15分の休憩を取り、11時35分に戸隠神社・奥社の駐車場に着きました。
戸隠神社・奥社
奥社鳥居の前を流れる逆川(さかさがわ)。戸隠地域ではなく、北側の信濃町方面に流れているので、「逆川」と呼ばれているそうです。川の長さは34km。流れの始まりと千曲川に合流する終わりの標高差は、なんと940mもあるそうです。
鳥居をくぐると、すぐ左に一龕龍王祠(いっかんりゅうおうし)があります。干ばつの年に黒姫山の登山道にある種池(たねいけ)の水を汲んできて雨乞いをしたといいます。この池の主を祀った祠(ほこら)です。
奥社の杉並木ではない緑あふれる参道
戸隠神社の奥社といえば、まず頭に浮かぶのが随神門の先にある杉並木です。前回2017年に来た時も杉並木が頭にあり、11月中頃で緑も少なかったせいか、鳥居から随神門までの参道があまり印象にありません。でも今は7月も終わり、夏の盛りですので、日差しの中の緑がとてもきれいでした。そして、清々しい空気を思いっきり深呼吸してみてください。
随神門に近くなりますと、杉並木が始まります。
随神門の前にある大きなご神木ともいえる木の太さを修学旅行生が手をつないで測っていました。この写真は、奥社参拝後の帰りに撮ったものです。この時間には、修学旅行生でいっぱいになっていました。写真を撮ると、必ず修学旅行生が入ってしまうほど。
(修学旅行生がくる前に、写真を撮っておいてよかった!)
随神門の前にいる狛犬。
随神門、豊石窓神と櫛石窓神のお話
随神門の反対側の屋根は、まるで苔むした庭のように植物が生えています。
左が豊石窓神(トヨイワマドノカミ)、右が櫛石窓神(クシイワマドノカミ)。一般的には、随身門といいますが、二柱の神様ですので随神門が相応しいですね。
天孫降臨の時、瓊瓊杵命(ニニギノミコト)に従ってきた天石門別神(アマノイワトワケノカミ)がいました。この神様の別名が、豊石窓神であり、櫛石窓神です。門から悪い神や霊が入ろうとするのを防ぐ神門(みかど)の神様です。
これぞ、戸隠神社・奥社の杉並木
随神門をくぐると、これぞ戸隠神社と言われる杉並木が始まります。樹齢は400年以上。左右に80本ずつあるといわれています。そして、吉永小百合杉
随神門から3〜4分ほど歩くと、右側にJR東日本のCM「戸隠神社篇」で話題になった吉永小百合さんが入った祠のある杉の木があります。今はしめ縄がかけてあり、中には入れません。
(写真:上)参道右側に法華多宝塔と大乗妙典一字一石書写碑。
法華多宝塔は、お釈迦さまが法華経を説いている時に地中から飛び出したという巨大な七宝の塔に由来しています。大乗妙典一字一石書写碑は、法華経の経文を一字ずつ小石一個に書いたものを埋めたといいます。
(写真:下)左側に平安末期から明治時代まで続いた奥社院坊跡。
明治以降は、神仏分離で院坊は廃止されました。
【一口メモ】
吉永小百合杉から1分ほど歩くと、左側に案内図には表記されていませんがトイレがあります。参道は歩くと40分ほどかかりますので、覚えておくといいでしょう。
飯綱社(いいずなしゃ)
参道の左側にあります。飯綱山の神様、飯綱大明神(飯綱大権現)は、昔から戸隠山の鎮守とされ、ここに祀られています。
そして、参道はこの辺から徐々に登りが厳しくなってきます。最後の5分ほどはかなり厳しい坂道です。(お年寄りの方は、駐車場のところで無料の杖がありますので、あらかじめ借りておくと良いと思います)
奥社本殿に到着。本殿の背後には、ギザギザ峰の戸隠山が見えます。
奥社・本殿の左横にある、中の額に「戸隠大神」とある絵馬殿。戸隠権現が戸隠大神に改称されたそうです。が、戸隠大神(戸隠権現)とはどんな神なのか、不明とのことです。
※「権現」=仏や菩薩(ぼさつ)が仮(=権)に姿を変えて日本の神として現れること。またはその神。
戸隠神社・奥社のご祭神とご神徳
天手力雄命(アメノタヂカラオノミコト)開運・心願成就・五穀豊熟・スポーツ必勝などのご神徳があります。
戸隠神社・奥社の御朱印
戸隠神社・九頭龍社
奥社・本殿に上がる階段の左の方に、九頭龍社はあります。九頭龍社のご由緒・ご祭神とご神徳
九頭龍大神(クズリュウノオオカミ)立札には、こう書かれています。(一部「かな」にしました)
地主の神でご鎮座年代古く、天岩戸が化成したといわれる戸隠山の守護神にして神代の岩戸隠れの変にご功績を立てました、本社のご祭神である天手力雄命を当山にお迎えした大神で、水分神、水口神、五穀豊熟、魔除けの神、虫歯の神、縁結びの神として、ご霊験あらたかに国民の多幸弥栄(いやさかえ)の上に高大なるご神徳を恵みたまう大神です。
※化成=形を変えて他のものになること
九頭龍大神の大好物は、果物のナシです。ナシを食べないと誓うと、歯が健康になるといわれます。「歯(は)なし」から「なし」をとると「は」が残ります。一種のだじゃれ?
九頭龍社の御朱印
2017年11月に来た時も食べた奥社・鳥居前の「なおすけ」のクマザサソフトクリーム。歩いた後のほてった体には、冷たさが気持ち良いい。
「えっ、クマザサってどんな味かって?」
「う〜ん、クマザサ食べたことがないので、なんといったらいいか……さっぱりしてます」
すいません、答えになっていませんね。
奥社を13時45分に出発。バスは20分ほどで宝光社に14時5分に着きました。
宝光社
階段は5つに区切られて登りやすくなっていますが、社殿前までは全部で270余段、かなり急です。
ここからの階段は193段。かなり急ですが、頑張って登りましょう。
ところで、この狛犬、なんか素っ頓狂な顔をしています(謝)。
宝光社・社殿の破風を飾る彫刻群が素晴らしい。
社殿横の柱は、屋根に積もる雪の重さを支えるためのものです。
宝光社・ご祭神とご神徳
天表春命(アメノウワハルノミコト)後で出てくる中社のご祭神である天八意思兼命(アメノヤゴコロオモイカネノミコト)の子。開拓・学問技芸・裁縫の神、安産の神、女性や子供の守り神です。
宝光社の御朱印
御朱印は、社殿の左横の社務所でいただきます。(写真:上)火之御子社の御朱印もここでいただけます。参拝記念なら、中社でもらったほうがいいですね。
宝光社で御朱印をいただくのに、30分以上かかってしまいました。そのため、中社で御朱印をいただくのも時間がかかるのではないかと思ってしまいました。
2つ目のコースの滞在時間は125分。
バスを降りて宝光社の社殿まで10分。中社までは歩くだけで35分。御朱印二社で待ち時間60分。合計105分。残りわずか20分で、火之御子社と中社を観光しなければなりません。
厳しい〜!ちょっと、焦ってしまいました。これが、タイトルに書いた見たかった食べたかった2つの心残りの原因です。
御朱印をもらい、宝光社の神輿庫の中の新旧2つの絢爛たる神輿を見て、左に行くと始まる神道(かんみち)へ急ぎます。
神道:宝光社〜火之御子社〜中社
神道(かんみち)の入り口。ここから森の中をぬけて、中社の鳥居脇に通じる山道を歩きます。神様が行き来しているようなわびさびた道が続きます。(中社まで徒歩約35分)
伏拝所(ふしおがみしょ)
立札にこうあります。
「御正体飛来の処、伏拝と称す。
奥社は女人禁制にして、冬は登拝が困難である。この地は、四季を通して老若男女がお参りできる社を建て我を安置せよ」
宝光社は、この御正体(みしょうたい)をお祀りした社なのです。御正体は、地蔵菩薩であり、天表春命(アメノウワハルノミコト)です。
(写真:下)伏拝所の石碑&ご神木とNHK小鳥の声放送記念碑
昭和8年(1933)、NHK長野放送局が日本で初めてここから野鳥の鳴き声を全国に中継しました。
ここから1分ほど歩くと、火之御子社へ行く分かれ道になります。徒歩3分と表示されています。
火之御子社
神道から火之御子社に行くと、まず手水舎があり、ご神木の夫婦杉(二本杉)、社殿になります。社殿右に西行桜があり、ここから神道に戻り中社へ向かうことを考えると、社殿前方下っているところにある鳥居は見ることがありません。ふつう、神社は鳥居から入り参拝します。だから、鳥居のある場所へおりてみました。
鳥居と階段を登ったところにある左右の立派な杉が、社殿をしっかり守っているかのような印象です。
西行桜と夫婦杉(二本杉)
西行桜のいわれ西行と子供たちの掛け合いには、犬猿の仲をベースにした笑える話があります。
西行「さるちごと 見るよりはやく 木にのぼる」
(猿の子のように見えたが、すばやく木に登る人の子供だな〜)
子供「犬のようなる 法師来れば」
(猿とは仲が悪い犬のような法師が来たからさ!)
西行、意外にも子供たちの賢さにやり返されています。それが原因かどうかわかりませんが、
「これ以上神域に立ち入ったらどんなに恐ろしいことが送るかわからない」
と、西行は火之御子社から戸隠山を遥拝し、引き返したと立札に書かれていました。
夫婦杉(二本杉)の前には小さな社があり、たくさんの小銭が納められていました。
【1つの目の心残り】見たかったそば畑
添乗員さんからは、火之御子社を参拝したら、神道のもとの曲がり道に戻った方がわかりやすいと言われていました。が、この夫婦杉の左横を上がって行くと中社への近道になります。少し焦っていたため、このルートをとりました。ところがです。
後で同じツアーの参加者(小林利彰さん)から重要な情報をえました。それが、そば畑です。私は、ここからは遥か遠く南東にある祓沢のそば畑しか知らなかったのです。
なんと、火之御子社への曲がり道を曲がらず少し行った神道の右側にそば畑があったというのです。私が火之御子社から近道の神道に戻ると、そこの場所は飛び越してしまっていたのです。
下の写真は、小林さんからお借りしたものです。小林さんによると、なんともいい匂いがしたそうです。この匂いが気になり、神道をそれてそば畑を見つけたというのです。なんとも、いい鼻をお持ちの小林さんです。
火之御子社のご祭神とご神徳
天鈿女命(アメノウズメノミコト)高皇産御霊命(タカミムスビノミコト)栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
天岩戸伝説で踊った天鈿女命による舞楽芸能をはじめとし、縁結び、火防のご神徳です。
火之御子社の御朱印
戸隠神社・中社
一辺約72mの正三角形に配置された3本のご神木
神道を急いで、中社にやってきました。まずは、中社では鳥居の左右の前にある二本のご神木が目に入ります。しかし、72mほども離れているので一枚の写真に収めることができません。(写真:上)左端にあるご神木
(写真:下)右端の大きな杉のかたまりがご神木
鳥居を入り、階段を上がった右に三本目のご神木があります。
鳥居の後ろに座っている狛犬。堂々とした獅子の風格があります。
三角形の頂点に立つ、鳥居を入ったところにある三本目のご神木。樹齢約800年。手を触れることもできます。一本が三本に分かれています。三本杉と言われる一つの理由です。
(正三角形に配置されているから、三本杉といわれるとの説もあります)
急な階段を上がると、社殿が見えてきました。階段を上ったすぐ左に三本杉とは別のもう一本のご神木があります。
見逃してしまいましたが、社殿の天井には河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)による龍の天井画があります。戸隠神社の御朱印帳になっている龍の絵です。大酒を飲んで一気に描き上げたといいます(今ある天井画は焼失後の復元図)。
さざれ滝の虹と金運
社殿の右奥にあるさざれ滝。スマホの待ち受け画面にすると金運がアップすると言われています。さざれ滝の落下する下の方に、かすかに虹がかかっていました。写真では、はっきり撮れませんでした。「早く御朱印を」と焦っていたのですが、社務所は意外に空いていました。ホッと胸をなでおろしました。
下は、青龍殿。宝物館も兼ねています。また、祈祷者などの控え室、参集殿も併設されています。
社殿に上がるには、正面のきつい階段と左にある緩やかな女坂があります。
階段を上がる右に手水舎があり、さらに右の方には、宣澄社(せんちょうしゃ)があります。天台宗の東光坊宣澄を祀っています。(写真:下)
戸隠神社・中社のご祭神とご神徳
天八意思兼命(アメノヤゴコロオモイカネノミコト)アマテラスを天岩戸の中から出す計画を立てた知恵の神。そのご神徳は、まずは学業成就です。その他には、商売繁盛・開運・厄除・家内安全などがあります。
封筒ほどの大きなおみくじには、何が書かれている?
自分の年齢を言うと、神職さんが祝詞をあげてからいただける大きなおみくじです(初穂料300円)。第六十八番 御后迎兆(みきさきむかへのうらかた)
皇 孫 乞 儘 木 之 花(すめ みまの こはす まにく このはなと)
岩 長 福 弓 奉 家 里(いわ なが そへ て たてまつり け り)
平吉(たいらきち)
天皇(ニニギノミコト)が乞うままに、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメを奉ったという意味でしょうか。男性にとっては、結婚相手が見つかるが、二人の姉妹に愛されるとか。女性にとっては、結婚相手と若いツバメとか?
とにかく、恋愛運が良くなる(悪くなる)ということでしょうか?
戸隠神社・中社の御朱印でコンプリート、アイテムゲット!
最後に火之御子社と中社の二つの御朱印をいただきました。(火之御子社には社務所がありませんので、御朱印は宝光社か中社でいただきます)これで、戸隠五社の御朱印コンプリート。おまけは、戸隠神社・五社参拝記念の栞(しおり)でした。
中社では、はじめに入ってきた鳥居からではなく、社務所の前を左に行く西参道に通じる鳥居から出ました。
最後に【2つの目の心残り】は、食べそこねた戸隠そば。
このバスツアー、今回が二度目で、戸隠五社の御朱印をすべてゲットすることが目的でした。奥社と九頭龍社の御朱印は待ち時間も予定通りでしたので、難なくゲット。しかし、宝光社では待ち時間が30分以上になり、「中社でも待つかな〜」と、少し焦ってしまいました。
実際は、中社では待ち時間はありませんでしたが、戸隠そばを食べに行くには、きつい階段を降りてそば屋を探さなければなりません(けっこう定休日だったり、この時間になると閉店していたりします)。その元気が残っていませんでした。昼食はスルーして、小布施PAで買った果物のネクタリンで済ませました。
結果、見たかったそば畑、食べたかった戸隠そばの2つの心残り。しかし、2017年11月に新そばの戸隠そばを食べていますから、あまり気にはしていません。
下の写真は2017年11月の戸隠の新そば。小分けにした戸隠独特のぽっち盛り。新そばならではの香りに感動。まずは塩をつけて、そば自体の風味を味わいます。
ちなみに、そばは年に春と秋の2回収穫できます。今回のそば畑は、そのどちらでもないようです。年1回のそば畑でしょうか?
帰りは、横川SA・三芳PAで休憩を取り、21時5分に新宿に着きました。今回も、無事に戸隠五社参拝できました。
こちらのツアーに参加するにはコチラ
戸隠五社めぐりバスツアーで五社の御朱印を拝受しよう!
※当記事の内容は個人の感想を含み、諸説ある話の1つを基に作成されているため客観的な事実を表すものではありません。
また、特定の説を支持したり、異なる説を否定したりするものではないことをご了承ください。
なお、内容についてのご質問はお受けいたしかねます。
この記事を書いた人
渋谷 良久
2007年頃から、年に2〜3回趣味で日帰りバスツアーに参加していました。
当初は、はとバスをメインに、読売旅行、クラブツーリズムなどを利用していました。
2017年頃から神社に興味を持つようになり、(株)四季の旅のツアーに参加するようになりました。
カメラを持ってあちこち動いていますが、皆さんのご迷惑にならないよう気をつけています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。